聖書 歴代誌下24章1~27節、マルコによる福音書10章13~16節
説教 平和の共同体の心得「子どもを祝福する」
2020年東京オリンピックや2025年大阪万博が開催されることになりました。安冨歩氏はこれらを「経済発展のための祈り」だとツイッターで述べていました。経済発展のための祭儀ともいってもよいのでしょうね。裕福の神への信仰をここに見ます。
本日の聖書の歴代誌には、十戒を守れというヤハウェの神から、豊穣の神アシュラの女神(偶像)を信仰するようになったユダの民と王ヨアシュについて描かれています。経済的に豊かになりたい、これは誰しもが思う自然な思想だと思います。アシュラに仕える民とヨアシュは、ヤハウェの神の霊が宿った預言者ゼカルヤの忠告を受けます。「神はこういわれる。『なぜ、あなたたちは主の戒めを破るのか。あなたたちは栄えない。あなたたちが主を捨てたから、主もあなたたちを捨てる。』」ところが、彼らは共謀し、王の命令で、王の神殿の庭でゼカルヤを石で撃ち殺してしまいました。ゼカルヤは、ヨアシュの命の恩人、育ての親のヨヤダの息子だったのです。恩を仇で返すとはこのことでしょう。豊穣(経済発展)の神への信仰は殺害も厭わなくなるのでしょうか?恐ろしやと思ってしまいます。
さて、本日の新約聖書マルコによる福音書のイエスの行動。「子どもたちを抱き上げ、手を置いて祝福した」とあります。子どもたちが生きていることを喜び、歓迎して受け入れているのです。この時、人々はイエスに触れてもらおうとして子どもたちを連れてきたのです。それを見た弟子たちは子の人々を叱ったのです。イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言いました。「子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」
子どもを受け入れ、祝福することが神の国への入る条件になるということになるということでしょう。
豊穣(経済発展)の神は、経済発展のために人の命を犠牲にしてしまうのではないでしょうか。子どもも祝福されることはないのでしょう。子どもは経済発展の持続可能な道具と化されるのかもしれません。経済発展に支障になるような人は排除されていくのでしょう。ヤハウェの神は経済発展を人には要求しません。ヤハウェの神への信仰や両親や配偶者、隣人を大切にすることを求めています。また、本日のイエスの言動からは子ども(おそらく0歳児から)を大切にするよう私たちに示しているように私は受け止めています。経済はそのための道具となります。経済発展がなくてもヤハウェの神の要求やイエスの要求は実現可能です。
子どもや弱者を大切にする様な暮らしを目的に生きよ、経済発展の誘惑に惑わされるな、そういうメッセージを今日の聖書の個所から私は受けました。東京オリンピック、パラリンピック、大阪万博へ警告にも思われます。願わくは東京オリンピック、パラリンピック、大阪万博が子どもや弱者を祝福するイベントになりますように祈る者です。
みなさまの祝福を祈ります。