聖書 歴代誌下1章18~7章22節
コリント信徒への手紙一6章12~20節
説教 平和の共同体の心得「一人一人の体が聖霊の宿る神殿」
本日の聖書には神殿について書かれています。旧約聖書の歴代誌には6章に渡ってどのように建築したのかが事細かに描かれています。労働者は15万人を超え、金や銀、高級建材のレバノン杉を用いたこと、大きさが間口20アンマ(約9ⅿ)、奥行き60アンマで前20アンマは高さ120アンマ(約54ⅿ)であったこと、至聖所は20アンマ四方であり、そこに契約の箱が安置されたこと、祭具等の豪華絢爛さを伺える神殿のように思えました。しかし、そういう神殿も神の戒めを守らない場合は、投げ捨てられる、と神の言葉が付け加えられています。十戒など神の言葉を守ることの重要性を語っているように思います。
また、新約聖書のコリント信徒への手紙一の方では、一人一人の体が聖霊を宿す神殿だということを語ります。淫らな行いを犯す者へのパウロの注意としての話ですが、それだけに、すごい話です。淫らな行いをしている人に向かって、あなたの体は、聖霊が宿る神殿だというのですから。聖霊とは神ですよ。淫らなことをしているその体が神の宿っている神殿なんだ、だから、淫らなことはしないで、というパウロの祈りこめた言葉を想像してしまいます。神殿は歴代誌にはかなり高価なものとして描かれています。それだけの価値が一人一人の体にあるんだということをパウロは語ります。
本日の礼拝には、統合失調症で入院し、どういうわけか身体状態が低下し、全介助になった叔母も参加しました。この叔母も、神が宿る神殿なのです。十戒を守り、淫らな行いもしていません。ここに聖性を見出します。叔母には神が宿っている、そう思えてならない聖書の個所でした。
みなさまの祝福を祈ります。