聖書 歴代誌下17章1~6節
マルコによる福音書4章1~9節
説教 平和の共同体の心得「神の言葉に集まる」

教会に人が集まらないと嘆きや不安をよく耳にします。教会だけではありません。私の身近な障害者の団体、老人クラブ、自治会などその他運営する人がいなくなった団体は解散して無くなっています。地方自治体の存続も人口減少によって困難になっているところもあり、実際、統合、合併、吸収などにより、無くなってしまった自治体もあります。家についても住む人がいなくなり廃墟となっているところもあります。考えてみれば人の命も限りあり、長くても120歳。いずれ死を迎えます。このように現実には始まりがあり、終わりがあることは受け入れざるを得ないことのように思います。しかし、そういう現実の中で人々は「神の言葉」に集まってくることが本日の聖書に記されているように思います。

歴代誌下17章にはヨシャファトというユダの王4代目(ダビデ王から6代目)の王ですが、「先祖の神を求め、その戒めに従って歩み(3節)」とあります。そして、「主への恐れがユダを取り巻く地域の国々を襲い、ヨシャファトと戦いを交えるものはなかった。かえってペリシテ人のもとから貢ぎ物や税としての銀がヨシャファトのもとに届けられ、アラビア人も雄羊7千7百匹、雄山羊7千7百匹を届けた。ヨシャファトはますます勢力を増し(10-12節)」とあります。神の言葉に従うことで国は非戦状態の平和になり、ヨシャファトも富栄えたというようにも受け取れます。

マルコによる福音書4章1-8節にはイエスが湖畔で教え始められた時のことが描かれています。この時、おびただしい群衆が集まってきました。イエスは舟に乗り腰を下ろし、湖上にいて、群衆は湖畔にいるというシチュエーション。イエスはたとえでいろいろ話されました。その中で、種蒔きのたとえを話されました。神の言葉を種にたとえてのことで、次のようなたとえです。
「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出ていった。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が食べてしまった。ほかの種は、石だらけの土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆い塞いだので、実を結ばなかった。また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは30倍、あるものは60倍、あるものは百倍にもなった。」と語り、最後に「聞く耳のある者は聞きなさい」と結びました。
神の言葉はいろいろな現実に起こることで届かないことが多いが、人に届いたら大きな恵みを生むということのたとえと私は捉えていますし、神の言葉に、それを受け入れようが拒否しようが人が集まるということが示されているように思います。そして、聞けた人には恵がいっぱいになるということでしょう。これはなんとも出来過ぎな
話です(笑)

以上から、神の言葉に人は集まると私は思います。人口減少に嘆くなら、今、神の言葉を聞き、それを伝えることが重要ではないのかと思うこの頃です。そして、そのことによって、このサタンの支配する地上にでも、いや、だからこそ、神の国(天国)があるのに気付けるのだとも、私の経験上、思うのです。

皆様の祝福を祈ります。