聖書 歴代誌下13章1~22節
マルコによる福音書9章38~41節
説教 平和の共同体の心得「多様性」

 聖書を読んでいますと、ヤハウェの神の教えを守ったものが、命を得、守らなかった者が滅ぼされるという考え方と神の教えを守らなくても神が一方的に命を与え救ってくれるという考え方が同居しているように思います。聖書のどのような思想を取るかで多様な教派が生まれてくるのでしょう。

 本日の歴代誌下13章にはエルサレム神殿礼拝を中心にすることをヤハウェの神に従ったとするアビヤ率いるユダと、金の子牛を作って神としたヤロブアム率いる(北)イスラエルの戦いについて描かれています。ユダは40万、(北)イスラエルは80万の戦士で圧倒的に北イスラエルの戦士は多く、戦術にも長け、ユダはどう見ても劣勢。しかし、結果は、「神はアビヤとユダの人々の前でヤロブアムと(北)イスラエルのすべての兵は撃退された(歴代誌下13章15節)」と聖書は語ります。ここから、主に従う者はこの地で勝利を得え、主に従わない者は滅びるという思想が読み取れます。

 本日のマルコによる福音書では様相が変わってきます。イエスの名を使って悪霊を追い出していた者がいました。弟子たちは部外者がそういうことをしてもらっては困ると思い、やめるように注意しました。ところが、イエスはこういいました。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。はっきり言っておく、キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ず、その報いを受ける」というのです。宗教はどうあれ、イエスの信仰者の暮らしに協力すると恵みがありますということですね。そして、敵対する者については書いていないのです。「敵を愛しなさい」というイエスの言葉から考えると敵対する者でさえ滅びることはないということになります。こういう視点で考えますと、新約聖書では、主に従う、従わない関係なく救われるという思想(万人救済説)にもなります。

私としては、万人救済説の神を取りたいと思います。しかし、聖書は多様性のある読み方ができますから、人を脅迫したり、強制したり、抑圧したりしない限りは、いろいろな説があっていいと思っています。

みなさまの祝福を祈ります。