聖書 歴代誌下12章1~16節
ルカによる福音書18章9~14節
説教 平和の共同体の心得「へりくだる」
「実るほど頭が下がる稲穂かな」という諺をこの秋の季節になると田んぼの稲穂を見ては思い浮かべます。何でも徳のある人は謙虚であるということを表している諺なようです。経営理念に「謙虚」という言葉を使っている企業や団体もるようです。「謙虚」ということは私たちの社会では大切な事として考えられてきているようです。
聖書にもこの「謙虚」ということは重要だと示されています。本日の歴代誌下12章にはイスラエルの民の王レハブアムと民は神の律法を捨てたため、神はエジプトにユダを占領させようとしました。このとき、イスラエルの民はへりくだりました。「主は正しい。私たちが悪かった」と。それを見た神は「彼らがへりくだったので、わたしは彼らを滅ぼさず、間もなく彼らに救いを与える」と言うのです。
新約聖書のルカの福音書には、自分は正しいものだと高ぶって他人を見下すファリサ派の人と「神様、罪びとのわたしを憐れんでください」と神殿の遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言う徴税人の姿がたとえ話で出ています。そして、義とされたのがへりくだった徴税人であって、ファリサイ派の人ではないと語るのです。さらに「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだるものは高められる」とイエスは語りました。
何千年も前から「へりくだる」ことの大切さが語られてきています。聖書にも神の言葉としてイエスの言葉として「へりくだる」ことが滅びから救われ、高められる(幸いに生きることができるという意味と思われます)ということが示されています。経験上、へりくだったとき、不思議に物事がみんなに良い影響を与えるように進んでいるなあと思うことってよくありますね。「へりくだる」生き方を目指したいものです。
みなさまの祝福を祈ります。