創世記19章30節から36節、コリントⅡ4章1節から15節
平和の共同体の心得 多くの人々が豊かに感謝に満ちる

世の中には、理解できないようなことがたくさんありますね。特捜の検察官が、証拠のデータを自分たちの都合で書き換えたりすること、尖閣諸島の中国船の衝突事故で、中国の船長が拘束されていましたが、中国側の強い要望で釈放になったり、よくどういう事情かもわからないままになってしまっていましたり、不可解な事件が相次いでいます。石原都知事もこの問題で、これじゃ日本は滅んでしまう、とさえ言われています。この世の中やっていけるのだろうかと思えるような不安もあります。
平和に見え、経済的に豊かそうに見える日本ですが、日本の国や自治体では借金が多くありますし、最近は、若者の貧困も増え続けているのです。
最近の朝日の「論座」は注目に値します。2007年1月号での若手の論陣が非常におもしろい。湯浅誠(NPO法人自立生活サポートセンター・もやい事務局長)によれば、夜のインターネットカフェは生活困窮者が良く来る場所であるという。若い生活困窮者は、「若い」というだけで働く意志のない怠け者であると思われてしまう。彼らは5重の排除を受けているという。
1、中卒や高校中退という形で早期に教育課程から離脱している、2、福利厚生などの企業福祉から排除されている、3、親や親族からの精神的物質的な支援がないという意味での排除、4、生活保護などの公的な福祉からの排除、5、多くの場合このような状況をつくり出した「自分が悪い」という論理で福祉事務所をはじめとした公的な機関からも排除され。自分自身からも排除されてしまう。
暮していくことがとても困難と思われる方々がいるわけです。そういう困難な状況にいる方々がたくさんいるということも理解しておきたいと思います。

今日の聖書の箇所は、今後の暮らしに、行き詰った場合の、神の救いについて描かれています。大変、驚くようなことがかかれています。洞窟で暮らしていかなければならなくなった親子で、ロトの子孫が生き延びていくことが書かれていますが、ここは、イスラエルの民とは違う、アンモン人とかモアブ人とかイスラエル周辺の民族となっていき、イスラエルからは近親相姦によってできた民族だと、忌み嫌われるような人々の物語が書かれています。
ロトの一族はソドムとゴモラという、今で言う、東京の新宿とか渋谷、原宿というような文明文化の華やかな、しかし、自己中心的、富や快楽をを目的としてしかいきていけない、他者への思いやりがない、神の言葉に逆らう、暮らしをするような人々の多くいる地域だったようです。
ソドムとゴモラは亡ぼされてしまいますが、ロトは神がアブラハムに心を留め、ロトを破滅のなかから救い出された(29節)とあります。信仰者アブラハムによって、不信仰なロト一族を破滅の只中から救い出されたということが示されています。

アブラハムは信仰の父といわれています。この信仰によって何が起こるのかを本日の聖書から学ぶことができます。

信仰によって、その人が、破滅から救い出される、ということが起こる。
信じる者は救われる、ということはどういうことか、それは、破滅の只中から、現実的に救われるということです。そして、それは、信仰者が破滅の只中から、実生活上救われるだけではなく、信仰者以外の方々も、破滅の只中から実生活上救われるということです。さらに忌み嫌われているような人々さえ、破滅の只中から現実的に救われていくということです。イエスキリストはそれを私たち全人類に示しました。十字架という破滅的壊滅的人間の行為から、復活という救いの業が起こった!しかも、これは、すべての人々の罪ために、さらに罪を赦し、清めるために、神から良しとされ、ソドムのように滅ぼされないで滅びの中から救い出されるために、主の十字架の業が生じたのです。
聖書からは、信仰による希望が与えられます。信じることによる希望です。それは、壊滅的破滅的状況からの救いがあるということであり、しかも、それは、聖書でも読んで頂きましたが、信仰者だけではなく、それ以外の多くの方々にも及び豊かに感謝できる状態になることです。この素晴らしい信仰を守り続け、語り続け、イエスと共にわたしたちの平和を実現していきましょう。