創世記  13章 1節~18節 ロトとの別れ、 ヘブライ人への手紙 11章 8節~16節 
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    1アブラムは、妻と共に、すべての持ち物を携え、エジプトを出て再びネゲブ地方へ上った。ロトも一緒であった。2アブラムは非常に多くの家畜や金銀を持っていた。 3ネゲブ地方から更に、ベテルに向かって旅を続け、ベテルとアイとの間の、以前に天幕を張った所まで来た。4そこは、彼が最初に祭壇を築いて、主の御名を呼んだ場所であった。
  5アブラムと共に旅をしていたロトもまた、羊や牛の群れを飼い、たくさんの天幕を持っていた。6その土地は、彼らが一緒に住むには十分ではなかった。彼らの財産が多すぎたから、一緒に住むことができなかったのである。  7アブラムの家畜を飼う者たちと、ロトの家畜を飼う者たちとの間に争いが起きた。そのころ、その地方にはカナン人もペリジ人も住んでいた。
 8アブラムはロトに言った。「わたしたちは親類どうしだ。わたしとあなたの間ではもちろん、お互いの羊飼いの間でも争うのはやめよう。9あなたの前には幾らでも土地があるのだから、ここで別れようではないか。あなたが左に行くなら、わたしは右に行こう。あなたが右に行くなら、わたしは左に行こう。」
10ロトが目を上げて眺めると、ヨルダン川流域の低地一帯は、主がソドムとゴモラを滅ぼす前であったので、ツォアルに至るまで、主の園のように、エジプトの国のように、見渡すかぎりよく潤っていた。11ロトはヨルダン川流域の低地一帯を選んで、東へ移って行った。こうして彼らは、左右に別れた。  
12アブラムはカナン地方に住み、ロトは低地の町々に住んだが、彼はソドムまで天幕を移した。 13ソドムの住民は邪悪で、主に対して多くの罪を犯していた。  
14主は、ロトが別れて行った後、アブラムに言われた。「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。15見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。16あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう。17さあ、この土地を縦横に歩き回るがよい。わたしはそれをあなたに与えるから。」  
18アブラムは天幕を移し、ヘブロンにあるマムレの樫の木のところに来て住み、そこに主のために祭壇を築いた。

ヘブライ人への手紙 11章 8節~16節 
8信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。9信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました。10アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです。11信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました。約束をなさった方は真実な方であると、信じていたからです。12それで、死んだも同様の一人の人から空の星のように、また海辺の数えきれない砂のように、多くの子孫が生まれたのです。
13この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。14このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです。15もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。 16ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです。  

聖書のテーマは危機的状態からの救い
聖書のテーマとは、苦難からの救い、受難からの脱出、と考えると読みやすい。神は苦難から救い出す方であるということが中心にあるのだと思います。苦悩した状態にあり、そこからどうしたら逃れることができるかを、言い伝えられてきた歴史的出来事に見出し、それを編集したのが聖書でありましょうから、苦悩の状態をどうしたら逃れ得るか、救いを求める人には、とても素晴らしい道を、慰めを、恵みを、希望を与えられる書であると思います。

信仰に入った私の救いの経験
以前にもお話をしたことがありますが、私自身が信仰に目覚めさせられたのも、自分の苦難の状態からなんとかしたい、何とかして逃れたいという、救いを求める状態があって、イエス・キリストに出会えたのが始まりでした。

本日の問題、苦難とは
本日の聖書の箇所では、アブラムとロトの問題、カナン人やペリジ人との原住民との問題が生じたようです。その理由を本日の聖書の箇所は財産が多すぎたために家畜を買う者の間に争いが起きたと聖書は示しています。ここはシケムという場所で、カナン人やペリジ人が住んでおり、いろいろな宗教もあったようです。アブラムもロトも多くの財産、家畜や金銀、天幕をもっていたようですから、経済的に恵まれており、財産管理のために多くの人を使うことができたでしょう。ここでは、そのような政治力、支配力があったりするもの同士の共存の問題、苦難があったと思われます。また、もう一つ、カナン人、ペリジ人という違う価値観を有している者同士での共存の問題、苦難がここに生じていたものと思われます。

アブラムがとった解決策 別れてお互い平和に暮らす
そして、その解決策が、争わず、アブラムとロトがお互い別れて暮すということでした。

8アブラムはロトに言った。「わたしたちは親類どうしだ。わたしとあなたの間ではもちろん、お互いの羊飼いの間でも争うのはやめよう。9あなたの前には幾らでも土地があるのだから、ここで別れようではないか。あなたが左に行くなら、わたしは右に行こう。あなたが右に行くなら、わたしは左に行こう。」
とありますね。
そして、ロトはヨルダン川流域の低地一帯、主の園のように、エジプトの国のように、潤っていた地域を選びます。有名な破壊されたソドムとゴモラ、ツォアルといって、ロトの家族がソドムとゴモラの破壊から逃れたツォアルですが、そのような、肥沃で食べたり飲んだりするのに十分で、裕福で文明が発達していて、都市機能が整備されて、軍事力に優れているような地域を選んだようです。言うなれば大都市。

一方、アブラムは主が与えるという地域、カナンの地域を選びました。14主は、ロトが別れて行った後、アブラムに言われた。「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。15見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。16あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう。17さあ、この土地を縦横に歩き回るがよい。わたしはそれをあなたに与えるから。」  
18アブラムは天幕を移し、ヘブロンにあるマムレの樫の木のところに来て住み、そこに主のために祭壇を築いた。
とあります。
神の指示に従って生きた。という意味に取ることができます。

本日の聖書のメッセージ 貧困と争いからの平和的救い 
そうして、聖書をたどって行きますと、アブラムはイスラエルの民、今ではユダヤ民族の先祖になっていきます。聖書に中心的に記述されているのはこのアブラムの子孫についてです。さて、一方ではロトですが、ロトはいえば、ユダヤ人ではなくて、モアブ人やアンモン人の先祖であり(創世記19章)、詳しくは分かりませんが、アラブ人に吸収されたらしいという記載があったりしていますから、おそらく、ユダヤ人以外の民族になっていったと思われます。
聖書編集者はイスラエルの民で、旧訳聖書はバビロン捕囚時代前後に集中してまとめられたものらしいですから、なぜ、自分達は、バビロンで奴隷として生きなければならなかったか、その抑圧された中で、どうやったら、抑圧されたし際された状態から解放され、本来の自分たちの充実した、本当に生きていたよかった、神様ありがということができる暮らしを送ることができるかを、真剣に過去の言い伝えを元に編集していったという経緯がある書物だと思います。
そして、その編集者たちは、アブラムの物語を選んで採用していきます。アブラムは恐らく信仰の成功者のモデル、信仰とはこうあるべきだという、理想として描かれているとも解釈できると思います。
アブラムは神と共に生きた。神のいうことを良く聞いた。それがわれわれのあるべき姿であり、そうあるべきだ。祭壇を築いたアブラムのように、神への応答を忘れてはならない。その結果、危機的状態が恵みに変わって行くのだ。飢饉になれば財産が増え、争いを平和的解決策をとることができる。そして、価値観の違う者とも共存もできる。そのようなメッセージをここでは示しているように思われます。聖書の編集者が、バビロン捕囚時代であったとするなら、経済力や政治力が人の危機的状況を救うということを言わないで、神の言いつけを守ることによって、イスラエルの人々が救われる、と、信仰による恵み、救いに、過去の出来事から気づいて、聖書に盛り込んだことを思うと、編集者たちの信仰の深さと純粋さ、熱心さに心打たれる思いがします。

信仰の基本は、人間側から見れば、危機からの救いを求め、過去の出来事(口伝えなども含めて)からそれを知り、今と将来の我々にも、そのような危機的救いがあるということを信じること、なのでありましょう。
危機的状態とは、貧困からの救いでもあり、また、争いからの平和的救いでもあるのでしょう。
 
人は一見お金と力に救いを求める。 しかし、信仰による救いの方を求めている
現代人は、お金を頼りに生きています。現代人だけではなく、アブラムの時代昔からでしょう。
しかし、お金、財産があれば平和に暮せるか、安心してうらせるかといいますと、そうでもないようです。本日の聖書の箇所にもそういうことが示されています。戦争は現代でも続いており、経済的利害関係や価値観の違いによる物が原因となることが多いのではないのでしょうか。

アブラムは神に従うことによって、貧困と争いから救われていきました。
アブラムの物語は、神に従う、信仰によって、人間に不足する分、欠点がが恵みとなりました。
後にサライという不妊の女が身篭り、イスラエル民族の先祖になってさえいくわけですから。

信仰による恵みとは自分の最も欠けている所に恵みが与えられるということです。
そのような救いを旧約聖書の編集者はもうすでに知っていたようです。お金や力ではない救いを、つまり、信仰による救いをこの当時の人がもうすでに知っていました。(詩編33編16節から19節にも)

さらに新約時代のパウロも信仰による救いを書き記しています。
8信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。9信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました。10アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです。11信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました。約束をなさった方は真実な方であると、信じていたからです。12それで、死んだも同様の一人の人から空の星のように、また海辺の数えきれない砂のように、多くの子孫が生まれたのです。
13この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。14このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです。15もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。 16ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです。

現代社会にも 貧困と争いが耐えません。
しかし、聖書は、この危機には、信仰による平和的救いがあるということを今日、示してくれているのではないでしょうか。経済的支援や力による支援が必ずしも人間の救いにならないということも、現代人であっても知っているのが真実でしょう。原発反対、普天間基地反対と訴えている人々をみてもそのような気持ちが伝わってきています。
裕福な人が貧しい人を助け、争わずに平和的道を探る、
この単純ではありますが、信仰による危機的状態からの救い、恵みです。
現実にはそういう世界はまだ実現していませんが、わたしたちは、アブラハムの信仰に習って、その実現を、夢に見ていきたい、いや、この世が仮住まいであり、貧困や争いなどすべての人間存亡の危機的状態から、平和に救い出されるという恵みの世界が本当の人が安寧に生きることのできる世界であり、やがて、主によりそのような世が実現することが示されていますから、だからこそ、この世にも、我々人類の力でもそれに少しでも近い世が出来上がることを信じて、いきたいと思います。

信仰の恵みとは、愛し合いなさい、敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさいというイエスの指示に従い、貧困や争いなど危機的状態から救われるという恵み。
さて、そのためには、・・・と考えてみます。そして、主イエスの十字架を思いたいと思います。彼は、われわれの罪人という貧しさを、義人という恵みにしてくれるために、争いという貧しさを避けるために、平和という恵みにしてくれるために、あえて十字架にかかったと理解することもできましょう。神自身が、人の危機を救う行為を、十字架にかけられるという、目に見える形でなして下さったと考えることができます。

わたしたちの信仰の恵みとは、危機的状況からの救いの事です。
今日は、貧困と争いの状態から、神の啓示に従う、アブラムの信仰をみました。
今、わたし達に与えられている神の掲示とはなんですか。
それは、イエスが十字架にかかったことを覚え、愛し合いなさい(ヨハネ13:34)、敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい(マタイ5:44)というイエスのことばではありませんか。
信仰によって、与えられる恵み。
それは、先ほどいいました、神の言葉に従い、貧困と争いを平和的に解決できるという恵みです。
我々に与えられている信仰の恵みとは、愛し合いなさい、敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさいというイエスの指示に従い、貧困や争いなど危機的状態から救われるという恵みなのではないでしょうか。

その恵みに預かっているということを覚え、貧困と争いを平和的に解決するよう知恵を出し合い、暮して生きたいと思います。
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