聖書 歴代誌下21章2~20節
マルコによる福音書13章2~13節
説教 平和の共同体の心得「聖霊に頼る」
聖書には神の人間に対する救いについて書かれていると同時に、人間の闇の部分についても描かれています。人が人を救い得ない悲しさ、虚しさを痛感させられる書でもあるように思います。今、現在の私がファンの非暴力を訴える安冨氏も人を無差別に殺したいとか自殺してしまいたいとかいう思いが沸いていたという。今ではだいぶ少なくなったというが、闇を抱えながら生きているようです。その他にも同様なことを教えてくれる人たちも私の周囲には珍しくはありません。
本日の歴代誌下21章にはユダの王ヨラムについて書かれています。ヨラムは兄弟すべてと何人かの高官を殺害。主の目に悪とされることを行い、主を捨てました。ヨラムは支配下にあったエドムやリブナから反旗を翻され、支配権を失いました。さらに、預言者ヨラムに次ぎのような手紙が届きました。「あなたの父祖ダビデの神、主はこう言われる。『あなたは父ヨシャファトの道、ユダの王アサの道を歩まず、イスラエルの諸王の道を歩み、アハブの家が淫行を行わせたように、ユダとエルサレムの住民に淫行を行なわせ、またあなたの父の家の者、あなたより優れた兄弟たちを殺した。それゆえ、主は大きな災いをもって、あなたの民、あなたの子たち、妻たち、すべての財産を打つ。またあなた自身、悪質な内蔵の病にかかり、それが日に日に重くなり、ついに内蔵が外に出るようになる』」そして、この手紙通りになり,ヨラムは死に至りました。なんとも悲惨な出来事でしょうか。(これを神が行ったとは私は考えられません。神に従うことの重要性を示すための歴代誌編集者の創作を加えたところもあったと思われます)
本日のマルコによる福音書には世の終わり、終末の悲惨さがイエスが弟子たちに言う言葉で描かれています。「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』と言って多くの人を惑わすだろう。戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震が起こり、飢饉が起こる。これらは生みの苦しみの始まりである。あなたがたは自分のことに気をつけていなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で打ちたたかれる。また、わたしのために総督や王の前に立たされて、証しをすることになる。しかし、まず、福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない。引き渡され、連れて行かれるとき、何を言おうかと取り越し苦労をしてはならない。そのときには、教えられることを話せばよい。実は、話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ。兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は
救われる。」話がまとまっておらず、何がいいたいのか絞られた話ではあいませんが、福音書にあるイエスの言葉はまとまっていないほど原型に近いと考えられているようです(廣石)ので、私はここはイエスが言った言葉にかなり近いと思っています。国や民族間の戦争に加え、地震や飢饉の天変地異、周囲の人からもすべてから憎まれ、家族の殺し合いがあり、憩う場所もないような生き地獄。こういう生き地獄をイエスは現実に現れることを予見しながら、救いをいうことも忘れていません。「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」と言います。しかし、この地獄を耐え忍べる者はいるのでしょうか?ここのポイントは「聖霊」だと思います。
人が地獄を経験するときは「聖霊」に頼りなさい、と本日の聖書から私は受け取りました。神秘的なことを言ってすみませんが、「聖霊」によって私たちは地獄から救われる、そういうメッセージを本日は受けました。
みなさまの祝福を祈ります。