聖書 ヨブ記32章1節~37章24節
   ヨハネによる福音書14章1~14節
説教 平和の共同体の心得「神は道、真理、命」

ヨブは神とサタンの仕業により、財産、家族、健康を奪われ、嘆き、神に対して、自分は正しく生きているのになぜ、このような苦難に合わせるのかと問い続けています。3人の友人が見舞いに来て、ヨブに説教をしますが、因果応報的思想で語るのでヨブが苦難にあるのはヨブが罪を犯したからだということをヨブに語ることになり益々ヨブを苦しみに追いやる結果となります。そこに、突然、エリフという若者が登場し語ります。神は全能者であり、人が正しかろうが誤っていようが、神に従おうが、背こうが神にはなんともないことなのだから、神に反論することはできない、畏れ敬うことしかできないというように言います。3人の知人もエリフも、神自身が十戒を守り、十戒を与えた神に対しての説明としてはあっているように思います。しかし、ヨブ記にでてくる神は明らかに十戒違反、ヨブの子どもや使用人を災害によるとはいえ、死亡させています。こうなると、神は正しい過ちを神、犯さない神ではありません。無垢で正しいヨブに暴力的被害を与える暴力神です。ヨブが非難しているように問うことは正しいように思われます。ヨブの神がサタンと組んでヨブに苦難を与えていることはヨブ記の登場人物には知らされておらず、読者のみに知らされているのです。ですから、ヨブ記というのは、もし、神がサタンと組んで無垢で正しいヨブのような人を苦しめるような神なら、読者のみなさん、どうお考えですか?という問題提起の文学なのではないかと思えてきました。

ヨハネの福音書には、イエスという神であり、人がどういう方かということが書かれています。今日の個所では「道、真理、命」という説明があり、行った業で理解するようにと書かれています。イエスは病人を癒したり、社会的弱者を認め生きる希望を与えたり、平和を訴えたりしました。決して、無垢で正しい人に苦難を与える人ではありませんでした。したがって、ヨブ記にでてくる神は私の信じている神ではありません。こんな神はあってはなりません。ヨブ記の著者は読者にそういうことを言ってもらいたいと思っていたんだと思います。

皆様の祝福を祈ります。