聖書 ヨブ記15章1節~21章34節
ルカによる福音書6章35~36節
説教 平和の共同体の心得「悪人が災いの日を免れる」
一般に、神に従ったものは、財産も家族も健康も与えられ、災いから逃れるという思想が人間にはあるのではないでしょうか。また、神様に従わなかったものは、貧しくされたり、家族に問題ができたり、病になったり、災いが下るとも思われることもあると思います。
ヨブ記はその思想、神概念をぶち壊します。
神に従う無垢で正しいヨブは、神とサタンの企てにより、財産も家族も健康も失いました。ヨブはそれに対し、神に抗議し、なぜ、正しいものに災いを与えるのかと訴え、自分は死にたいと語ります。ヨブの事を聞きつけた友人3人はヨブの神への訴えについて、ヨブの悲惨はヨブ自身の罪のためだ、神は神に従う正しいものを祝福されるという我々の一般的神概念をヨブに説き、ヨブをますます苦しめる結果となっていきます。本日の個所はその場面が描かれているように思います。その中でヨブの答えの中に次のような個所があります。
神に逆らう者の灯が消され、災いが襲い、
悪人が災いの日を免れ
怒りの日を逃れているのに
誰が面と向かってその歩んできた道を暴き
誰がその仕業を罰するだろうか
彼は葬式の行列によって運ばれ
谷間の土くれされ彼には快さそうだ。
人は皆彼の後に続き
彼の前にも、人は数えきれない。
神に従わない悪人でも災いを逃れ、幸せに暮らし、死しても盛大な葬儀をされ、死後も人々に慕われるということがあるではないかとヨブの見た現実を語ります。
新約聖書のイエスの言葉にもそのような箇所が見受けられます。「しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何もしないで貸しなさい。そうすれば、たくだんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである「(ルカ6:35)」
勧善懲悪を私たちは神に期待し、神概念を作り上げてしまいますが、聖書を読んでいきますとその概念は砕かれます。悪人に情け深いのは百歩譲って良いとして神に従うヨブを苦しめる神はどうも私には受け入れがたいです。ヨブと一緒に神に抗議し続けています。
「そんな神ならおらいらね!」(ヨブはここまでは言っていません。妻が「神を呪って死ぬ方がましでしょう」と言いました。そう、私はここで妻の意見に賛同します。)