聖書 エズラ記7章1~28節
マルコによる福音書7章24~30節
説教 平和の共同体の心得「異邦人との関わりの中で生きる」
一神教であると一般的に言われるユダヤ教やキリスト教。選民思想があるとか排他的であるとも言われるユダヤ教やキリスト教。本日の聖書の個所を読むとそれは全く違う、いろいろな宗教が同居しても構わないという思想の宗教ではないかと思わされます。
本日のエズラ記には、エズラという人が登場します。このエズラ、アロンの末裔でイスラエルの祭司であるとともに、植民地になって支配されているペルシャ王国(たぶんゾロアスター教)の国家公務員(書記官)だったのです。国費でバビロンからエルサレムに移ります。
そのときはエルサレムに戻りたいと思う人々も同行を許されます。そして、ペルシャの王はエズラが要求するものを提供していくことを約束し、王の法律と神の律法の二つに従うようにエズラにエルサレムとその周辺地域の行政をも任せます。これはいわゆる一神教と言えますでしょうか?長いものには巻かれながら、自分たちの信仰をかろうじて守る(権力者を旨く利用して守る)というような、弱い一神教とでもいうような感じですね。自分たちの信仰が侵されなければ他宗教共存もOKのようなスタンスですね。
新約聖書の方のマルコによる福音書の方には、イエスに異教のシリア・フェニキアの女が自分の幼い娘の悪霊払いを頼みますが、イエスははじめそれを拒否し、まずユダヤ人へ悪霊払いや癒しなどをしてからだというシーンがでてくるのです。結局、異教の女の諦めない願いによるイエスは自分の方針を変え、しかたなく異教の女の願いを聞き、即座に悪霊払いがなされたと、一般的には読めるところです。しかし、イエスは邦人、異邦人を区別される方かと思いきや、そうではありません。となると、ここの個所は、わたしは、イエスはこの女の人とのやり取りで遊んでいたのではないかと思うのです。ズーズー弁バーションで再現してみます。
フェニキア女はイエスの噂を聞き、また、様子を見ていてイエスに会って言いました。
「あらー、なんだべ、あんだ。気さくでいい人だっちゃ。そんで、病気とが次々治ってっちゃ。すごいね。おらいの娘の悪霊払いも
あんだならできるなあ、ぜったい。ねえ、できっぺ。」
イエス「あれ、何、あんだ?どっからきたのっさ?」
フェニキア女「シリアだ」
イエス「なんだも とおいどっから来て、よぐ、きたな」ここでイエスはこの方の娘の悪魔祓いを完了する。
フェニキア女「なっ、娘の悪霊 払ってけろ」
イエス「ダーメ、おれ、ユダヤ人だし、悪霊ユダヤ人に一杯ついてるし、ユダヤ人の悪霊払いが先よね。ふふ」
フェニキア女「うちらみてえな、よそ者じゃあ、だめっつーことすか。犬扱いだよなあ」
イエス「パンは犬にはやんないしなあ。ふふ」
フェニキア女「よく言うよ。おらいで コロってちっちゃい犬っこ かってっけど。この犬ねぇ、テーブルから落ちたパン屑、食べでだっけよ。うまそうに」
イエス「ふふ、一本とられたな。悪霊払いしておいたよ」
まあ、こんな感じでしょうか。フェニキアの女もイエスと会った瞬間、娘の悪霊は去ったと分かり、ただ、イエスとの会話を楽しんでいたのかもしれませんね。
ということで、ユダヤ教もキリスト教も異教の人の中で異教の人と共にある宗教であるということを、本日の聖書からメッセージとして受け取りました。現実世界には多様な宗教があるわけで当たり前といえば当たり前のことですけど。
皆様の祝福を祈ります。