聖書 列王記下11章1節~20節
マタイによる福音書1章18~24節
説教 平和の共同体の心得「終わりかと思っても」
富岡八幡宮の神社の後継者問題で弟が姉を殺し、自分も妻と心中した事件が報道されています。悲しい骨肉の争いです。ご冥福をお祈り申し上げます。宗教関係の事件なので他人事とは思えず、報道を見ています。
骨肉の争い。旧約聖書には結構多く出てきます。始めに出てくるのはカインとアベルの兄弟間の弟殺害です。神が弟アベルの捧げ物に目を留め、兄カインの捧げ物に目を留めなかったから、妬みからの殺害です。アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフなど家族にも骨肉の争いが見て取れます。本日はダビデ家の南ユダ王国で起こった骨肉の問題が記されています。本日の注目する人はユダ王国唯一の女帝アタルヤです。このアタルヤはバアルの神の信者であって、イスラエルの網の信者ではなかったようです。バアルの神の普及に熱心だったようです。このアタルヤは北イスラエルのオリム王の孫でユダヤ王のヨラムに嫁ぎました。いわば、同盟のための人質結婚だったのかもしれません。そして、北イスラエルにはイエスによるクーデターが起こり、オリム家一族は全滅させられます。そして、その時、アタルヤの息子南ユダの王アハズヤも北イスラエルに行っていたため、イエフによって殺害されてしまいました。アタルヤはここで自分の権力基盤を失います。まして女性です。バアル信者とはいえ、彼女の行く末が気になります。彼女の取った行動は、女帝となることでした。ダビデ家の王族を滅ぼそうとしました。これは自分の子や孫も殺害するという事です。信じられない行動に出ます。しかし、アタルヤの娘のヨシェバがアタルヤの孫のヨアシュをかくまいダビデ家の血筋を引く王子は行き残ります。そうして、6年後ヨシェバの夫の祭司のヨヤダは7歳になったヨアシュを王に立て、ヨアシュの祖母であるアタルヤは殺害されるにいたりました。なんとも悲しい事件です。ここでダビデ家の王位は絶えるかと思われましたが、奇跡的に継続していくことになりました。オリム家の血筋も子々孫々と繋がっていくことになります。バアル信者の子孫も生き続けていくことになります。こでは、スラエルの神がバアルに支配されそうになったダビデ家を救ったという解釈もありますが、イスラエルの神に仕えるダビデの子孫もバアルの神に仕えるオリム家の子孫も骨肉の争いの故に途絶えてしまうかが如くに思われますが、行き残っていったということに私は注目したいです。
本日のマタイによる福音書には、マリヤが聖霊によって身ごもっていたと婚約者ヨセフが知ったときのことが書かれています。マリヤと関係をまだ持っていなかったヨセフはこのままではユダヤ人として重大な罪を犯すと思ったのでしょう、ひそかに縁を切ろうとしますが、主の天使が来てヨセフにイエスは自分の民を罪から救うと語ります。ヨセフは別れず、マリヤを妻に迎え、イエスの父親となりました。当時の律法を守ることを重要視する通常のユダヤ人にはあり得ないことだったでしょう。このように縁を切られて当然の婚約者を主は結び付けられたというように私は受け止めています。
以上、今日の聖書から、私たち人間の思いで、もう駄目だ、終わりだ、やっていけないと思ったにしても、主はそうはさせない、人々を生かすようにする、壊さないで新しい事柄を創造していくのだと私は受け止めました。しかも、それは、宗教を超えて生じることであるようにも本日の特に旧約聖書から学ばされていただきました。
願わくば、富岡八幡神の問題も多くお参りする方々がより愛し合う関係になるような祈りが捧げられる場となっていくことを願うばかりです。
みなさまの祝福を祈ります。