聖書 詩編103編3節~4節
題 「平和の共同体の心得」復活
本日はイースター復活祭です。おめでとうございます。
昨日、頂き物のお酒がありまして、夕食のときちょっと、100㏄くらいお酒を飲みました。
母親いわく、「明日の説教はきっちりしっかり準備しなさいよ。身内だからいうのですよ」と喝を入れられました。礼拝前日は酒は慎むという指導牧師だったことを思っていましたが、つい、飲みたい誘惑に負けて、私は飲んでしまいました。しかも、レント(受難節)最後の日だというのに。情けない私です。悔い改めます。
神イエスキリストの復活と人々の復活はあると聖書は伝えています。
本日は、旧約聖書の詩編103編から復活の信仰を考えてみたいと思います。
詩編は神様を賛美する詩です。メロディーがついていてユダヤ教、キリスト教でも歌われてきた歌でもあります。この詩編の中に復活の信仰を賛美しているのが今日の箇所です。
主はお前の罪をことごとく赦し、病をすべて癒し、命を墓から救ってくださる。慈しみと憐れみの冠を授け、長らえる限り良いものに満ちたらせ、鷲のような若さを新たにしてくださる(3-5節)。
ダビデはこう讃美しています。信仰の讃美と言うのは経験からの告白です。
この詩編にある箇所のお話をしましょう。
JORCラジオ関西キリストへの時間 2013年09月22日 放送マーラー交響曲第2番『復活』②赤石純也(伊丹教会 牧師)からの引用です。
マーラーという作曲家がおります。交響曲第2番は「復活」です。多くの指揮者が体験したそうですが、オットー・クレンペラーという指揮者もこの復活を指揮しました。
この男性は1885年生まれ、身長190センチ、好色で不倫のエピソードもある人で、1973年88歳まで生きた人です。
~~~~~赤石牧師のメッセージここから~~~~~~~
クレンペラーという人は、50代半ばで脳腫瘍を患い、言語障害や体の麻痺といった後遺症に苦しみました。重い躁鬱もあったのですが、それがどんどん悪くなる。そんな中で指揮をし続けた人です。体の麻痺や鬱だけでも大変ですが、それだけではない。移動中に転んで骨盤を複雑骨折する、全身大やけどで1年近く治療がかかる、ステージから落ちて今度は背骨を骨折する、これでもかという災いから、そのつど復活してきた、何ともすさまじい指揮者です。演奏は凄みのある演奏です。
このクレンペラーという人はマーラーの復活が大好きで、若い頃、これをピアノ用に編曲して、まだ生きていたマーラーに見せに行ってマーラーを非常に感心させたという人です。そしてこの復活という曲の通りに、そのつど試練の中から復活して、何度でもどん底の中から立ち上がった。そういう人生を歩んできたのが、このクレンペラーという人なのです。「立ち上がる、そう、あなたは立ち上がるだろう」、マーラーの交響曲がこう奏でます。
「立ち上がる、そう、あなたは立ち上がるだろう」このクレンペラーの渾身の演奏は、もうクレンペラーその人と完全に一体化して、鳥肌が立つような迫力があるのです。この曲の通り、自分自身何度も絶望の中から立ち上がってきたクレンペラーですが、終戦になったときクレンペラーは、瓦礫と化したドイツやフランス、ヨーロッパ中を回って、このマーラーの復活だけを演奏し続けました。「あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」こういう言葉が聖書にありますが、まさにそれを実行するように、クレンペラーは戦後の廃墟の中で、このマーラーを演奏して回りました。「立ち上がる、そう、あなたは立ち上がるだろう」。この渾身の演奏が、どん底にいた人々に現実にどのように聞こえたか想像してみてください。
どん底にいた人々はコートを売ったり靴を売ったりしてこの音楽のチケットを手に入れて、クレンペラーを聴きに行きました。そして、あなたは立ち上がるだろう、この渾身のメッセージを聞いて、本当にどん底から立ち上がっていったのです。絶望してしまうような災難があったとしても、あるいは、苦しい病気になったとしても、たとえ一切を失っても、あなたは立ち上がるだろう、こういうメッセージを今は教会で聞くことができます。あなたがどん底の中から立ち上がること、実はこれが神のこころでもあるからです。あなたは必ず立ち上がるという神の約束を、どうぞ聞きに来てください。靴など売る必要はありません、タダですから、どうぞ教会に来て、あなたは立ち上がることになっているという神の約束を聞いてください。そのとき現実に、あなたが立ち上がるということが起こると思います。
~~~~~~~~~~~ここまで~~~~~~~~~~
私の知り合いにも、重い鬱病になり、療養し、仕事に復活した方々もいらっしゃいます。
また、入院中、治療中の方々も知っています。そうだとしても、癒される希望、また、立ち上あがっていける希望を聖書の箇所や、現実に起こっている事実から、確認することができと思います。
世はテロでいつどこでテロが起こるか分からない不安な暮らしを余儀なくされている現状です。しかし、平和の主がこの世を支配している限り、平和は滅ぶことはありません。平和が壊されても壊されても、平和が復活する希望を私は抱いていき、祈っていきます。
私自身あのことを言えば、実は一人でこれから生きる自信は正直言ってありません。今、母親や周囲の人にお世話になっていてなんとか暮らしています。言語聴覚士の仕事もしながら、牧師をしています。レントの最終日に酒を飲む、こんな未熟な自分でも、生きていて、今日イースター礼拝までようくまあ出来なあと不思議です。
もしかして復活の主が私に日々働いてくださっているのではないでしょうか?
きっとそうに違いありません。
「主はお前の罪をことごとく赦し、病をすべて癒し、命を墓から救ってくださる。慈しみと憐れみの冠を授け、長らえる限り良いものに満ちたらせ、鷲のような若さを新たにしてくださる(詩編3-5節)。」
これはダビデの讃美だけではありません。わたしの、わたしたち一人一人の讃美なのでしょう。
みなさまの祝福をお祈りします。