聖書 歴代誌10章1~14節
   マタイによる福音書5章45~48節
説教 平和の共同体の心得「悪人にも善人にも命を保障する」

本日の歴代誌にはイスラエルの初代の王サウルの死が描かれています。ペリシテ人に親子みな殺害され、さらし首にされる凌辱的な結末。
これについて歴代誌の編集者は、13節、14節に「サウルは、主に背いた罪のため、主の言葉を守らず、かえって口寄せに伺いを立てたため死んだ。彼は主に尋ねようとしなかったために、主は彼を殺し、王位をエッサイの子ダビデに渡された。」としています。

この場面はサムエル記31章にもあるのですが、サウルの殺害は主によってもたらされたという表現はありません。サウルの死をどういうふうにとられるかは2通りの見方があると旧約聖書は示し、どちらが正しいかは示されていません。私としては主が殺害をするという十戒違反はしないという立場です。歴代誌の編集者は主の言葉を守らせるようにするため敢えてサウルを主に反した王とし、主の裁きにあったという勧善懲罰の物語を提示したのだと思います。しかし、解釈の仕方によっては、主に逆らう者は殺害されて当然とか、生きる権利なしとか、洗礼を受けなければ人にあらずというような極端な思想形成にも繋がることもあるようです。

そういう誤った思想に対し、イエスの次の言葉は、諭しを提供してくれます。「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる(マタイ5:45)」

殺人や破壊行動をもたらす人々を私たちは当然のごとくに排除しようとします。それは自然のこととは思いますが、殺人や破壊行動をもたらすにいたるまでの理由については良く分かっていないのが現状だと思います。せいぜいサイコパスという人格異常という精神状態で説明される程度のような気がします。その他、何らかの別の原因があるのかもしれません。それをまず私たちは理解するよう努めるべきだと私は思います。そうすることで、私たちは十戒を守っていき、悪人もあれ善人も、命が保障されていくことになるのではないかと思っています。

みなさまの祝福を祈ります。