聖書 サムエル記下5章1~22節(旧約p487)
   ヨハネによる福音書14章1~14節(新約p196) 
題 平和の共同体の心得「大志を抱け」

 本日の聖書2個所を読んでいるうちに「少年よ、大志を抱け」という言葉が思い浮かびました。ウイリアム・スミス・クラークの言葉です。
彼は、1976年札幌農学校(現北海道大学)の初代教頭として8か月を過ごし、一般自然科学を講義した傍ら、聖書を学生に配り、キリスト教も講じたとのこと。
日本を去る際に語られた言葉で、その言葉は「少年よ、大志を抱け、この老人のように」とか「少年よ、大志を抱け、キリストにありて」など諸説があるようです。
クラークがこのように「大志」つまり「大きな志」とか「将来に対する遠大な希望」を抱けと言い切れた理由が本日の聖書を読んで分かったような気がしました。
 サムエル記下5章は、ダビデがイスラエルの王となったことが書かれています。ダビデはこれを主が成してくれたからと悟ります。
サムエル下5:12には「ダビデは、主が彼をイスラエルの王として揺るぎないものとされ、主の民イスラエルのために彼の王権を高めて下さったことを悟った。」とあります。また、強敵ぺリシテ人との対戦には主に問い、主の命じられるように行動し、守られていったことが書かれています。
 本日のヨハネによる福音書14章12~14節には以下のような言葉があります。「はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。」「わたしの名によって願うことは何でもかなえてあげよう。」これらの言葉はわたしたちイエスを信じる者にとっては大きな励ましと自信になります。
以上のことからクラークが「少年よ、大志を抱け」と言い切れたのは、神がそれを成してくれるという信仰があったからではないかと思いました。「少年よ」と生徒たちに呼びかけましたが、イエスからすれば「イエスを信じるすべての人よ、大志を抱け」と言っているように思います。
 この地に平和を実現する希望。そのような大志を抱いていきたいものです。

(私個人的には今は部屋の片づけを含む衣食住の生活、仕事、今月、来月主催する研修会を滞りなく成したいというのが、大志ですが(;'∀'))

皆様の祝福を祈ります。