聖書 ルツ記2章1節~23節
   マタイによる福音書6章31節~33節
説教 平和の共同体の心得「神の国と神の義を求める」

 ルツ記は、自分の目に正しいとすることを行っていた士師時代の、民族の対立争いや民族内での争いの多い、殺伐とした暮らしの中に見る、オアシスとかユートピアに例えられる、とても祝福された出来事が描かれている書であると私は思っています。神の国とは何かと尋ねられたら、ルツ記に描かれている世界だというように私は答えます。地上でも神の国を実現できる希望をルツ記に私は見出します。
 本日のルツ記は、落ち穂拾いでの出来事です。未亡人ナオミと異教徒の嫁ルツ(ルツも未亡人)はベツレヘムでの暮らしを始めます。ルツは落ち穂拾いをしてナオミとの生活を支えようとしました。この落ち穂拾いは、農耕生活における社会保障制度のようなもので、寄留者や孤児、寡婦など貧しい人のために穀物などの収穫の一部を残しておきました(レビ19:9-10、23:22、申命記24:19-21)。ルツが出かけて行った畑は、その地方では裕福なボアズという人の畑でした。このボアズはナオミの夫の親戚で、ナオミとルツのことは知っていました。ルツがボアズの畑に来ていたことを見て、知ったボアズは、ルツに挨拶し、落ち穂はボアズの畑から取って、他のところに行かなくてよいこと、喉が渇いたら水を飲めるように配慮することを伝えました。ボアズは食事を提供し、ルツは満腹になりました。ルツが再び落ち穂を拾い始めようとすると、ボアズは若者に命じます。「麦束の間でもあの娘には拾わせるがよい。止めてはならぬ。それだけではなく、刈り取った束から穂を抜いて落としておくのだ。あの娘がそれを拾うのをとがめてはならぬ。」。こうしてルツはこの日1エファ(約23L)ほどの大麦を手に入れました。ルツが家に帰って姑のナオミにボアズのことを話すとナオミはルツに言います。「どうか、生きている人にも、死んでいるにも慈しみを惜しまれない主が、その人を祝福してくださるように」。こうして、ナオミとルツは日毎の糧を得ることができました。
この落ち穂拾いは、ミレーの有名な絵画「落ち穂拾い」にも描かれているものです。
 本日の新約聖書は、「だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それは皆異邦人が求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」という個所です。「神の国と神の義」を求めれば、衣食住には事欠かない、ということですね。
 本日のルツ記に見る、神の国と神の義とはなんでしょうか?神に係る記述をみてみますと、ボアズが自分の土地の農夫に言う言葉「主があなたたちと共におられるように」。農夫がボアズに言う言葉「主があなたを祝福してくださいますように」。ボアズがルツに言った言葉「どうか、主があなたの行いに豊かに報いてくださるように。イスラエルの神、主がその御翼のもとに逃れて来たあなたに十分に報いてくださるように」。ルツがボアズに言った言葉「わたしの主よ。どうぞ、これからも厚意をしめしてくださいますように」。ナオミがルツに言った言葉「どうか、生きている人にも、死んでいるにも慈しみを惜しまれない主が、その人を祝福してくださるように」。以上のように神を意識し、主とともに暮らしているという自覚が強く感じられます。「神の国と神の義を求める」ということは、暮らしの中で、神(ここでは出エジプトの神で苦難や抑圧から解放する神、そして、十戒を契約として与えた神)とともにあるという意識、気づきではないかと思われます。

神の国と神の義を求めていくとき、この地でも神の国の暮らしを経験できる、そんな信じられないくらい素晴らしいことを本日の聖書から受け取らせていただきました。神に感謝します。

みなさまの祝福を祈ります。