聖書 士師記19章1節~21章25節(朗読21章25節)
マタイによる福音書11章25~30節
説教 平和の共同体の心得「イエスのもとに行く」
「天国へ行きたい」私は30年位前、教会の祈祷会で聞いた祈りです。この祈りは10歳の少女の祈りでした。ご家庭が借金だらけで両親の喧嘩が絶えない家庭のようで、日々の暮らしが苦しかったのでしょう。私はこの祈りを聞いたとき、このような祈りをさせる現実が、許せませんでした。「これはおかしい!、何かが間違っている!、この小さな少女が天国へ行きたいだなんて絶対おかしい!」と思ったことを覚えています。将来自分はどんな人になるのか思いにふけったり、素敵な人に心躍らせたり、モデルや女優になったりするような密かな夢をもってもおかしくない時期ではないでしょうか?小学校5年の少女が天国へ行きたいなんて、とても、私には聞くには堪えられない祈りでした。なんて、この世の悲しいことよ。
さて、本日の士師記にも、読むには堪えない悲惨な出来事が書かれています。イスラエルの民族の間に起こった強姦とそれに対する戦争です。あまりにひどいのでここには記しませんが、ネットでも読むことができますので、読みたい人はお読みください。
新約聖書の箇所は「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすればあなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」というところです。
イエスのところに行く、それは、死んで天国へいく、ということではないのです。生きてイエスのもとにいき、柔和と謙遜を学び、安らぎを得て、生きるということなのです。信仰による救いもわたしはここに見出します。永遠の命も「安らぎを得て生きること」だと思います。死んだら天国へ行く、というのが、わたしの救いではありません。
イエスのもとに生き、安らぎを得て生きる、これは、誰でも可能な生き方であり、だれもが実行したら、平和な世界が実現するという福音でもあると思っています。イエスのもとへ行きましょう。
あっ「天国へ行きたい」と祈った少女は今アラフォーです。イエスのもとに行ったのでしょう。あの時天国へ行かなくてよかったです。
みなさまの祝福を祈ります。