聖書 ヨシュア記13章1~14節
   ヨハネによる福音書14章15~31節
説教 平和の共同体の心得「聖霊を与えられる」

神は人を生かす。神は「生」であると思ってもいいかもしれない。
本日のヨシュア記には、抑圧されていたエジプトから脱出してきたイスラエルの民に土地(衣食住に必要な物)が与えられたことが書かれています。人が生きるために土地を与えられることは常識的なことです。しかし、レビ人だけは土地が与えられず、イスラエルの主、神に燃やして捧げる捧げ物がレビ人に土地の代わりとして与えられた物でした。さて、ここは何だろうと思ってしまいます。捧げる行為がレビ人の子々孫々までしなければならないことでした。おそらく土地もそうだが、神に捧げる行為、これがなければ民全体が生きることができない、或いは、人と人の関係がうまく平和にいかないと旧約聖書では仄めかしているのではないかと思います。  
さて、本日のヨハネによる福音書をみますと、私たちに聖霊を与えるといいます(14:26)。そして、その聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、イエスが話したことをことごとく思い起こさせてくださるといいます。そして、27節には、「わたしは平和をあなた方に残し、わたしの平和を与える」とあります。
私たちの「生」は何に因るかと考えると、衣食住を満たす環境というより、聖霊(神の言葉と平和)によると本日の聖書から伺えることです。(聖書には現実的ではないようなことが当たり前のように書いてあるところがあります。敵を愛せ、とか、迫害する者のために祈れ、とか、右の頬を打たれたら、左も出せ、とかですね。この箇所もそうだと思います。それを生き方の幻とかビジョンにするところに信仰が生まれるように思います。)
聖霊が与えられるとは、神の言葉と平和に関わることなのだと思います。「LOVE AND PEACE」月並みな表現ですけれどこれですね。これがおそらく本日のヨシュア記の神に捧げる行為であるのでしょう。聖霊を与えられ、人は、生きるためには人を大切にすること、そして、平和が必要なことを知り、実践していくのでしょう。

みなさまの祝福を祈ります。