聖書 ヨシュア記12章1~24節
ヨハネによる福音書15章14~15節
説教 平和の共同体の心得「征服ではなく、友となること」
ヨシュア記はイスラエルの民がカナンの地方を武力で征服していった歴史的出来事であり、それが神の命令によってなされたことであると思われなくもないが、私はあえて、それに疑いを持つものです。
出エジプト記は、バビロン捕囚時代に書かれたものと考えれば、国を武力で奪われたイスラエルの民は、神が必ず、イスラエルの国を建設してくれるという希望を持ちたかったのではないでしょうか。カナン定住はかなり平和的に行われたという解釈もあり、おそらく神は平和的定住を進めていったのでしょう。もちろん、ヨシュア記に出てくるのような侵攻もあったでしょうが、神の指示ではなく、人間の仕業だと思います。本日のカナンの地域の征服の記事には「神がなさった」とは一言もでてこないのはやぶさか神の指示で侵攻したのではないという理由にはならないでしょううか?
新約聖書の翻字Tの箇所、ヨハネによる福音書15章14~15節には「わたしの命じること(互いに愛し合うこと)を行うならば、あなたがたは私の友である。もはや、わたしはあなた方を僕と呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなた方を友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなた方に伝えたからである」とあります。
神は征服することはしない。友となろうとする。これが人の間の関係でも、国の間の関係でも同じだと思われます。征服するのではなく、友となることで、平和を実現していくのでしょう。
皆様の祝福を祈ります。