聖書 ヨシュア記9章1~27節
   マタイによる福音書15章21~28節
説教 平和の共同体の心得「救いは宗教問わず」

 聖書にはイスラエルの民でなければ、救われないとは書いていません。特に本日のヨシュア記はギルガルの都市のヒビ人がイスラエルと和平協定(属国となることを条件に)を結び、イスラエルの民ではない人々の命が助かるという記事です。協定ではイスラエルを巧みに欺いたこともあり、ヒビ人の職業が、神の宮の芝刈りと水汲みをする奴隷となりました(23節)が。
 本日のマタイによる福音書には異教徒であるカナンの女が娘が病気で苦しめられているから助けてくれとイエスに頼みます。イエスは始めは「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」と断り、「子どもたちのパンを取って子犬にやってはいけない」とまで語ります。しかし、女は「主よ、ごもっともです。しかし、子犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」と食い下がりました。イエスは言います。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願い通りになるように」その時、娘の病気は癒されたと聖書は語ります。
 このように聖書には、命が救われたり、病が癒されたりする救いは宗教問わず行われるという記載があります。私たちは宗教団体を作っていく行為と救いの成し遂げられる行為を同じようにみている場合があります。宗教団体を作っていく人は救いに与った方々のうちの一部ではないでしょうか?組織を作ることによってあるいは組織の中にいることによって安心感や心地よさが得られるという場合があります。組織とはそういう面での助けにはなりますが、基本的に救いとは無関係なものです。救いは宗教という組織はいかなるかを問わずただ神によってのみ成し遂げられるものであるということを本日の聖書からメッセージを受け取るものです。
みなさんの祝福を祈ります。