申命記15章1節~11節、マタイによる福音書18章21~35節  
(2015年2月22日礼拝)
平和の共同体の心得「赦しとは?」

神は一方的な赦しを勧めています。本日の申命記では貸したお金は7年ごとに免除されることが書かれています。マタイによる福音書にはイエスのことばとして「7を70倍するまで赦しなさい」というイエスのことばがありました。
一方、マタイに福音書には赦さない者は裁きを受けるという結果にもなりうることが示されています。現実生活で「赦さなければいけない」という決まりができると、赦さない人は裁かれる結果になる場合があります。マタイの時代ではどうもそういう風潮がったようです。赦すことがみ国へのいきつく条件のごとくに捉えられていたようです。しかし、これは神からのメッセージではなように思います。神からのメッセージは「赦しなさい」ということでしょう。そして、人は人の罪を赦せないからこそ、「赦すべきではないのか」というイエスのメッセージが残るような気がしています。赦さない人を断罪していいのか、迷うところです。
このように、「赦し」とは神からの私たちへのメッセージであって、道徳や決りにするべきことではないように思います。
この神の問いかけを聞くか、聞かないか、は、われわれの状況、出来事の経緯、時代の権力者の思想などに左右されることであると思います。
願わくは、赦せるように、神の言葉に従いたいものです。