申命記8章1節から20節
マタイによる福音書4章1節から4節
題:平和の共同体の心得「人はパンのみで生きるにではない。神から出る言葉で生きる」

この言葉は生きている私にとっては、意外な言葉でした。あらためてそうなのかと最近思わされています。神から出る言葉とは十戒とか愛し合いなさいとか聖書に記されている言葉ですね。生きるための神の言葉だということです。殉教や殺害は十戒によって禁止されています。シャルリ エブド社のテロはイスラム過激派とされています。キリスト教でも過激な人は殺害や破壊行動に走る人がいます。しかし、神の言葉である十戒では汝殺すなかれ、と殺人は禁止されています。当たり前のことですが、すべての人が生きるためには殺人はやれません。しかし、人は生かすことよりも殺害することを選んでしまうことがあるようです。しかも真面目にそれが正しいと思ってしまうようです。今回のシャルリエブド社のテロもテロリストたちは間違っていないと思っていることでしょう。神がそれを実行しなさいと言っているというのでしょうから。しかし、イスラム教の経典の一つ旧約聖書には、「神から出る言葉によって〝生きる”」と書いてあるのであって、「神から出る言葉によって殺害する、殉教する」などとはありません。これは聖書解釈の問題ではないでしょうか?宗教指導者や神学者はご指摘いただき、神の本来の意志を聖書から導き、過激派たちの神学へ投じて欲しいと思っています。私はそれだけの神学的力がないのでここでつぶやいたり、ぼやいたりするだけです。悲しいかな。

みなさまの祝福を祈ります。