聖書 申命記4章41節~43節
    マタイ18章21~22節
説教 平和の共同体の心得「赦すことを忘れない」

逃れの町という、誤って人を殺してしまった人が復讐に合うことなく、生き延びることができる地域が本日の申命記に出てきます。申命記19章には少し詳しく説明されていますし、民数記やヨシュア記にも出てきます。聖書にこのように複数記述されているということはとても重要な事柄だと思います。逃れの町を設置したのは、人の生を、限りなく尊重していくためのように思います。無駄死にを避けている訳です。ハムラビ法典等人の決めた法(イスラエルの律法にも影響があったのだと思いますの)では、目には目を、歯には歯を、ということで、死罪になることもあったのでしょう。
本日の新約聖書では罪を何度まで赦すべきかと弟子ペトロがイエスに聞いた時、イエスは「7の70倍までも赦しなさい」と言います。何度でも赦せというのです。こういうことを聞きますと、一見なるほどと思いつつも私などは何でも赦されるから、罪を犯してしまい、滅びの人間になっていくのではないか?とも思ってしまいます。
しかし、しかし、なんです。私の経験では、罪を犯すというのは、とっても後味が悪いものなんです。極めて不快なんです。すっきり、爽快、爽やかに生きるには、罪を犯さないことが何よりなんだと思います。
赦しとは、人が、罪を犯さず、すっきり爽快さわやかに生きるチャンスを与えることに他ならないことと思っています。神様は私たちにそういうチャンスを与え続けておられるのでしょう。赦し、赦される関係をもちつつお互いすっきり爽快さわやかな暮らしを送っていきたいものです。
みなさまの祝福を祈ります。