聖書 民数記32章1~42節 マルコによる福音書4章1~34節 説教 平和の共同体の心得「神の国の神秘」 本日の民数記には、エジプトから脱出してきたイスラエルの民に与えられた土地について、書かれています。神が与える予定としてはヨルダン川を渡ったの川の西側の地域なのですが、ルベン族とガド族は家畜を多く所有しており、ヨルダン川の東側に来てみたら、家畜を飼う土地としてとても適しているようで気に入ってしまいました。彼らはモーセや祭司エルアザルにここを与えてくれるように願います。モーセはそれを赦しますが、ヨルダン川を渡ってその土地取得のために武力行使に協力することを条件にしました(これは後の時代の編集者の加筆と思われますが)。実際彼らその土地を神から与えれた土地として受け継ぐことになります。当時は神の国がこのヨルダン川周辺の土地だと思われたのではないのでしょうか? マルコによる福音書には神の国の神秘が譬えで語られること、しかも、人の聞く力に応じて譬えを変えて話、譬えを用いずに語ることがなかったとまで書かれています。ということは、神の国の神秘というのは一人一人異なるということでしょう。そして、神の国の神秘というのはもしかして一人一人の信仰ということにはなりはしないかとさせ思えてしまいます。一人一人の神の国の神秘が違った形、無二のものとして与えられている、したがて、友達や夫婦、親子の関係も無二、職場も無二、サークルも地域社会も無二、無二でいいんだと何か安心してしまいます。自分ばかりなぜこうなんだ、自分たちだけなぜこうなんだ、と思う時、神の国の神秘にいるからなんだと思ってもいいのかもしませんね。 みなさまの祝福を祈ります!