民数記31章1~54節
   マタイによる福音書5章38~42節
説教 平和の共同体の心得「復讐はしないのが正解」

 さて、本日の聖書には、また、矛盾する事柄が出てきます。
民数記31章は復讐(報復という表現を使っていますが)を神からお告げを受けたものとして殺害、略奪を含め実行したという記載があります。マタイによる福音書には有名な箇所「右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」というところです。ここは結論としては復讐はしないということになると思うのです。民数記の方はバビロニアに捕囚された時に書かれた者らしく、祭司たちはバビロニアに支配されているイスラエルの民が神の指示によって敵を完全に滅ぼしてくれるという希望を持って生きるために、創作したらしいとのことです。そもそも復讐や報復などすることなどできなかった弱い民だったようです。しかし、民数記には自分たちの神なら敵を一ころにするぐらい簡単だ、と書いて見せて、イスラエル民族の信仰的高揚を高め、信仰を継承していったのでしょう。極端に言えば、民数記のこの箇所は信仰継承のためにでっち上げられた記事だったということらしいです。
 マタイによる福音書の「右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」ですが、これも力の違いすぎる強者に対して、早く暴力を留めるために歯向かうより、好きなようにやらせて頬をぶたれたくらいで被害を最小限にしなさい、というまことに弱いものがしたたかに生き延びる知恵であったとのことです(田川建三訳聖書・註より)
 聖書は結局のところ復讐はしないのが正解といっているようです。
 それは人が強者に支配される苦難なら生み出された、人が生き延びる知恵であると本日の聖書からは読み取れるのです。

みなさまの祝福を祈ります。