聖書 民数記22章1節~24章25節 マルコ7章24節~30節 説教 平和の共同体の心得 「困っている人を助ける主」 イスラエルの民は難民の民みたいなものです。エジプトの苦役から逃れて、40年も荒野を彷徨いましたが、結局カナンの地へ定住が可能になりました。旧約聖書はそれを軍事力で占領したということになっていますが、現実は、カナンの人々と平和的な共存を図って定住していった人も多数あったようです。ここではモアブという地域の王バラクがイスラエルの民を恐れ、ユーフラテス川の流域にあるアマウ人の町べトルに住むバラムという呪術師を招き、イスラエルの民を呪うように願ったが、バラムに神のお告げがあり、イスラエルの民を呪うことができず、祝福されることが書かれています。彷徨う民を受け入れてくれたカナンの地に住む住民の寛容さを本日の旧約聖書民数記は物語ってくれていると私は受け取ります。イスラエルの民はカナンの原住民に感謝すべきなのかもしれません。本日の新約聖書マルコによる福音書には、ギリシャのシリアフィニキアの女性の願いをイエスが聞いてくれたことが書かれています。彼女の娘は悪霊に取り付かれた幼い娘を癒してほしいと願ったのでした。イエスはイスラエルの民でないこの女性の願いを叶えます。困っている者を受け入れ、生きていけるような配慮を施してくれる神を本日の聖書からうかがい知ることができます。イスラエルの民であろうとギリシャ人であろうとクリスチャンであろうとなかろうと神様は困っている人なら誰でも受け入れ助けてくださるのです。その神を信じている私もそのような神のような者でありたいと、僭越極まりないと思いつつも、そう思っています(自意識過剰ですみません)。否、生きることに困っている私こそ、周囲に助けられていることに気づかされています。 皆様の祝福を祈ります。