聖書 民数記21章1節~35節
   ヨハネ4章1節~42節
説教 平和の共同体の心得「世界は礼拝の場」

本日の民数記はイスラエル民族の土地所有の物語が書かれています。住み着いていたカナン人の町々を絶滅したり、アモリ人の王や子,その全軍を一人残らず打ち殺し、その国を占領した、という記述があります。イスラエルの民の犠牲者は書かれていません。ただ、神とモーセに逆らったため蛇に噛まれて多くの死者が出たという記述があります。この箇所はイスラエルの民が土地所有していったことは確かだったのでしょうが、それは残虐な武力行使、殺害も含む破壊行為に頼ったということだったのでしょう。民数記編集者は神のせいにしたということと私は解釈します。神は苦しみからの解放者であって、決して人を殺害したり、破壊したりすることはないと信じているからです。たとえ、イスラエルの民以外の人であってもです。

さて、本日のヨハネによる福音書には、ユダヤ人と絶交状態にあったサマリアの女とイエスが話し合っているところです。この女は5人の夫と別れ、今は別の男と同棲していること、つまり、ありのままのこと(律法違反でもある)をイエスに知らせます。イエスとの会話は進み、この女と礼拝について本質的な事を話し合っていきました。「礼拝はどこでも可能だ。霊と真理をもって礼拝する時が来る。今がその時である。」と語ります。女は「キリストと呼ばれる救い主が来ることは知っています。」と話されました。イエスは「それは、あなたと話をしているわたしである。」と自分のことを知らせます。ここではイエスと本当に好きな男と同棲している女との相互理解が示されていると解釈します。

これらのことから、私はこの世界というのは土地所有においては争いが生じ、人命が失われたり、破壊活動が生じてしまう、しかし、お互いが分かり合うことを目的にした世界は、礼拝が行われる場であり、結果的に平和となるということになるというように私は思います。ここでは礼拝と相互理解は同じことではないかとも思っています。

今様の祝福を祈ります。