聖書 民数記17章1節~25節
   マルコ1章29節~34節
説教 平和の共同体の心得「民の救い」

本日の民数記は民の救いに書いてある部分です。神に反抗するものも生きていけることが書かれています。民数記16章と矛盾します。ここはアロンが贖いの儀式をしたら災害(疫病による死亡)が治まったと聖書に記されています。神は、人が人を贖うことによって、人を救う、神への反抗が赦されると、考えた人々の思想が伺えます。
罪の赦しは贖いによるという思想ですね。
マルコによる福音書には、病人がイエスによって癒されるということが、書かれています。
民の救いは病の癒しにあるということなのでしょう。これは万人、どこへ行っても人類共通の願いなのだと思います。

病気による死と治癒は今も昔もあったのでしょう。その違いを贖われたか、そうでないかで理解しようと思ったのではないでしょうか?そして、イエスは病人を癒す力があったようでした。人々はイエスの癒しに喜び、感謝していたことでしょう。イエスはナザレでは、癒さなかったこともあったようです。さて、これは、病気ということは、イエスがいても治せない病気もあるということを意味していると思います。

病気や災いによる死と生。なぜ、あの人は助かって、あの人は助からなかったと私たちはよく問います。それは神様がなさったことではない、ということが、聖書から読み取れるのではないでしょうか?

では、神とは何をするのか。神は助かった人と助からなかった人の不平等をどうにかしてくれるように私は期待するものです。きっと、叶えてくださると信じています。神にはできないことはない。とありますから。