聖書 ヨハネによる福音書20章19-23節
説教 平和の共同体の心得「私たちが罪を赦すことで」 

イエスの復活

本日のヨハネによる福音書には十字架にかけられ死んだイエスが弟子たちに復活して現れ、「平安があるように、聖霊を受けよ、あなた方がたが誰かの罪を赦すなら、その罪は赦される」と語ったということが記されています。
 聖書には奇跡と思われる事柄が書かれてると当時に理性的に見て、当たり前なことが同居していることにも気づかされます。数百万の人が数百キロの道を歩むのに神の指示で移動した記述に、優れた道案内も同行していたことも記述されています。道案内人がいれば移動できるのは当たり前のことだと思われます。イエスの復活の記事と同時に人が誰かの罪を赦せばその罪は赦されるということも記されています。ある人に自分が赦されたなら、その人とまたに共に生きて行くことができることもまた当たり前のことでしょう。
 復活ということは、一旦ダメになった関係がまた回復するということにも捉えることができると思います。そこには赦しということが必要だということでしょう。また、奇跡としての復活がある限り(神がある限り)、イスラエルの数百万の人々が、たとえ過酷な荒野でさえ歩むことができた様に、また、すべての長男を殺すような残虐な王に支配されようとも、赦すということが、人々が共に平和に生き続けていくことができる業(神業)だということを本日の聖書は示しているように思います。

ルーマニアという国にある絵本を紹介します。「小さなリース」という絵本です。

 ある国に、とても恐ろしい将軍がいました。名前を「カロル」といいました。そのカロル将軍はいつも「俺は世界で一番偉いんだ。」と言っていました。しかしカロル将軍は本当に偉い人とはいえない様な人だったのです。罪のない人を、牢屋になげこんだりしていたのです。

ある日、将軍が家に帰ると、小さな花のリースが門の前においてありました。将軍はそれを見つけて、足で踏ん付けたりしたのです。ところが、来る日も来る日も、小さなリースが家の門の前に置いてあるのです。その贈り主はなんと、小さな女の子でした。その女の子は、将軍によって、両親がろうやに入れられ、殺されてしまったのだそうです。しかし女の子は、お父さんとお母さんの教え「あなたの敵を愛しなさい。」ということを守ってカロル将軍にやさしくしてあげようと思い、お花のリースを贈っていたというのです。

このことを知った将軍は、大きな声をあげて、泣き叫びました。自分がなんて悪い人間だったのか、と罪を悔い改め、ごめんなさい、と何度も何度も言いました。そして優しい人間になろう、とその日から決心し、その国は平和になりました。

「小さなリース」の小さな女の子は、両親を殺した支配者に対して、愛を注ぐ、赦したんだと思います。私達もこの「赦しの業」としてこの世に来られた主イエスと出会い、赦しの業を成していけるようにこの復活祭で祈りたいと思います。


皆様の祝福を祈ります。