民数記9章1節~23節
マタイによる福音書18章10-14節
平和の共同体の心得『すべての人と祝う』

今日の民数記には過ぎ越しの祝い(エジプトを出る時主が長子すべてを殺すとされたとき、鴨居に子羊の血を塗った家の人は助かったことを記念するお祝い)を祝えなかった場合の対応が書かれています。死体に触れたりして過ぎ越しのお祝に参加できなかった場合は、翌月にしてもよいということです。また、旅に出たりした場合で過ぎ越しの日にいなかった場合もよく月にお祝いできるようになっていました。お祝いですから喜びをもたらすものですよね。誕生日のお祝い、腹痛があったりして、祝ってもらえなくても月遅れで祝ってもらえるとなれば本当にうれしいですよね。クリスマスのプレゼントだって、バレンタインデイーのチョコレートだって、1か月くらい遅れてもらってもうれしいものはうれしいですよね。
本日のマタイによる福音書には、100匹の羊を持っていた人が、迷い出た1匹の羊を探すために、99匹を山に置いて探さないだろうか、とイエスは問います。私は、ん~と考えますが、イエスは、あたかも、1匹を探しに行くことを当たり前のように選ぶんですね。これは遭難にあったらそうするだろうかと思ったりしまっすよね。99匹助かれば、1匹はしかたがないか、なんて思うかもしれません。しかし、ここでは天国のことを言っているんですね。イエスは誰もが天国へ行ってもらいたいと思っている。そこは宴会のような喜びに満ちているところのようです。もはや死も悲しみも労苦もない(ヨハネの黙示録21章4節)。そういうところに迷っている羊を引きもどしたい、ということをイエスは語っているのだと思います。イエスはそれを当たり前のごとくにします。99匹だけでもいいかなんては考えません。100匹全部でないといけない、ということでしょう。
イエスは祝いの席にすべてを招いておられます。誰もかけることなく万人に、死はなく、悲しみも嘆きも労苦もない、そういう状態に我々を至らせる、とイエスは語ってくれています。そういう神が人々とともにいてくださり、喜びと感謝の気持ちがわいてきませんか?神様っていつも必ず、皆さんと共に祝いっていたいと思っていると思います。
皆様の祝福をお祈りします。