聖書 民数記 8章1―24節 ヨハネによる福音書2章13-22節 説教 平和の共同体の心得「神殿は祈りの家」 本日の民数記には幕屋(移動式神殿)の作業をするレビ人について書かれています。彼らはイスラエルの民から選ばれ、身を清める儀式を行います。罪の清めの水を振り掛け、全身の毛を剃そらせ、衣服を水で洗います。その後、捧げ物を捧げ、イスラエルの民の前に進ませ、イスラエルの人々はレビ人に手を置き、レビ人はイスラエルの人々の身代わりとなり、幕屋の作業、祭司の下働きをするものとして任期25歳から50歳まで奉仕しました。これは神殿を管理する専門職(たぶん生活が保障された)が生じたということでしょう。 本日のヨハネによる福音書にはイエスの神殿批判が示されています。神殿の境内で商売をしている人を追い出し、何をするのかとユダヤ人がイエスに尋ねるとイエスは「神殿を壊してみよ。3日で建て直してみせる」と豪語しました。ここは神殿を重視し、神からの恵みを頂くためには神殿を大事にしないといけない、と信じ込んでいる方々への明らかな挑戦でありましょう。神は人に宿るのであって神殿にいるのではない、神殿は「祈りの家」と呼ばれなければならない(ヨハネの福音書以外のマタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書の同じようなことが書かれている箇所)とイエスは語ったと思われます。 イエスは神殿が商売の道具となったり、宗教的権威を象徴する場所になっていることに腹を立てたのだと思います。何ておかしいことをやっているんだと思ったのだと思います。神は人に宿る、人こそが神殿であって、それで十分なはずだ。そして、神殿は「祈りの家」と呼ばれるべきであって、一人一人、自分の神に祈ることこそが重要なのだと言われたようです。何とすごいことを言うのでしょう。けれども、みんななんとなくそう思っていることでもあるかもしれません。とてもうれしく思います。 皆様の祝福を祈ります。