民数記 3章1―13節
 マタイによる福音書22章34-40節
 説教 平和の共同体の心得「神の掟を示すレビ人の務め」

レビ人は、軍事都市にあっては、中心にある幕屋(移動式神殿)を守るために
祭司アロンの部下として配属、された専門職です。幕屋には十戒など神様から授かった律法などなおさめられており、その中で、汝殺すなかれ、という神からの命令も含まれているのです。しかし、現実はどうか。カナンの地に入るために軍事力をつけている、武器等力による征服をしようとしているように見受けられます。イスラエル民族の中に2つの思想がせめぎ合っているように思います。神からの殺すなかれという命令、カナンの地に入るには軍事力によって、殺傷があっても致し方ないという考え方。その両方を旧約聖書編集者は神の意志、命令としています。しかし、中心は幕屋にあり、都市は周辺から幕屋に向かって、自分たちの暮らしの罪の悔い改めをしているがごとくに描かれています。レビ人はイスラエル人の初子の身代わりとする(民数記3章12節)と書かれているからです。イスラエル人のやるべき神に初子捧げることの、身代わりが、レビ人の役割である、ということだから、レビ人はイスラエルの軍事都市の罪を贖っているとも思えるからです。

本日のマタイによる福音書には、律法で、最も大切な掟について書かれています。汝の神と隣人を愛せよ、これが律法で最も大切な掟です。

私たちの暮らしの中には欲望や利害関係が複雑に絡み、高度に発達に文明を持ちつつも、自殺者が年間3万人、うつややる気のない方々が少なからずおり、力による支配が中心になっている世の中でもあるようで、汝の神と隣人を愛せよ、が中心ではないように思います。こと私の心の中をみても、汝の神と隣人を愛せよ、という神の戒め中心に暮らしているか、と問われれば、そうではないのです。昔のイスラエルのに民族のように、力の支配の魅力と汝の神と隣人を愛せよの掟と間で自分の意志がせめぎ合いあっているように思います。聖書を読み、祈るに当たっては、どうか、汝の神と隣人を愛せよという掟が、いつも自分の心にあるようにと、神様の憐れみを求めるのみです。神の掟を示すレビ人の務めは今でも私にも私たちにも平和を実現するためには必要なことなのだと思います。

みなさまの祝福を祈ります。