民数記 2章1―34節(朗読1-9節) マタイによる福音書5章43-48節 説教 平和の共同体の心得「神は軍隊を作らない」 これは私がつけたタイトルです。今日の民数記(新共同訳聖書)では見出しが『全軍の配置』となっていて、幕屋(神がいるとされる小屋)を中心に東西南北へ広がる軍隊を配置した都市形成が描かれています。総勢60万3550名の兵を配備した、イスラエル軍備都市が出来上がったとされています。しかも、これらのことは、主がモーセとアロンに語ったと明確に書かれているのです。神は軍隊を作らない、というのは嘘、神は軍隊を作るのだ、ということになってしまいます。しかし、私の信じている神は、軍隊を作らない、そのことは私の信仰上、間違っていないと思っています。 それなら、聖書に記されている神が、間違っているのか?ということになります。戦争や殺人を命じる神については、私は、聖書を書いた人の誤った神理解であると思っています。だいだい、私は聖書に書いてある神を理解して、信仰に入ったのではありません。信仰してから、聖書の神について徐々に知る様になっていったのです。だから、私の神は軍隊を作りません。そんなことをしなくても、生きていける、生かせてくださる神様です。 さらに旧約聖書を読み進めていきますと、軍隊を作って、カナンの地に入る時、この都市の人のうち、ヨシュアとカレブの2人しか入れませんでした。さらにその子孫がイスラエルという軍事国家を作りましたが、バビロンに滅ぼされてしまいます。まさに旧約聖書は民数記も含めイスラエルの破局や滅亡の道を示したものととらえることができます。つまり、信仰的考えれば、神に逆らった結果、人は豊かな土地に入ることができずに、滅んでしまう、希望ではなく絶望が与えられてしまう、そういう神が共にいることを描いたのが旧約聖書であると私は受け止めています。 また、今日の新約聖書の箇所では、「敵を愛しなさい」という見出しがあるところです。愛するのに軍隊は入りません。これはイエスが言った言葉ですから、キリスト教徒にとっては神の言葉です。軍隊を作れとか殺せという言葉と矛盾するところです。「主が軍隊を作れと言った」という聖書の記述は、聖書記者の意図的編集、でっち上げ(言いすぎかもしれまえんが)、と私は解釈しています。こう言うことをいうと正統派キリスト教からは異端だと言われるかもしれません。 まあ、それなら、それでいいです。私は正統派キリスト教なんて知りませんでしたし、正統派キリスト教を作った神を信じたわけではありません。私の救い主を信じただけです。その時、たまたま、教会に行っていただけなので、そこで礼拝していた神様が私の救い主かなって思っているだけです。旧約聖書に描かれている神はどうも私の信じる神とは程遠い気がしています。故に、「神は軍隊を作らない」これは私の神からのお告げだと言っておきましょう。 皆様の祝福を祈ります。