聖書 レビ記 第24章1―23節、マタイによる福音書 5章38―42節 説教 平和の共同体の心得「弱者の生きるすべ」 世の中には弱者と強者がいます。これは人類が始まって以来ずーっと続いている状態です。聖書は弱者向けの書であるように思います。 今日のレビ記には神の変わることがない定めが書かれています。祭司が掟の箱(十戒が入っていると思われる)を隔てる垂れ幕の前に常夜灯を灯すこと、12個のパンを用意し安息日毎に備え、アロンとその子らが食べるという,イスラエルの民族独特の信仰的活動(律法を守るということ)が上げられています。と同時に、十戒を破った場合、イスラエルの民だけではなく、エジプト人にも同じような裁きが与えられるということが示されています。今日のレビ記では、神の名を冒涜した場合は、寄留者でも土地で生まれたものでも適応することが書かれています。つまり、旧約時代の律法はイスラエルの民だけのことではなかったのです。エジプトで重労働に苦しんだイスラエルの民の決まりがエジプト人にも通用するとは何故でしょう。それは彼らはエジプト人と暮らさざるを得なかったのでしょう。エジプトから逃げて来ても、文明最先端のエジプト人の知恵や力を借りていたのかもしれません。エジプトから逃げるにはエジプト人の力を借りなければならなかったのかもしれません。また、行くところ行くところのその土地の者たちとも一緒にある意味妥協して暮らさざるを得なかったこともあったのではないでしょうか。エジプトから逃げ、疲労困憊の状態に何度も襲われたイスラエルの人々は長いものに巻かれながら生きていくこともあったのだと思います。 さて、今日の新約聖書は有名な聖句「あなた方は聞いている通り、『目には目を』『歯には歯を』と命じられている。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」のある箇所です。吉本隆明はここを、奴隷のような弱者が生き延びる処世術、というように語っており、田川建三という聖書学者も共感している解釈です。奴隷は不条理な暴力に会います。例えば、主人から虐待を受けるようなこともあったかもしれません。それを知っているイエスはそのような立場にある人に向かって支配者たちの前で言ったんだと思います。「そういうとき、奴隷の身にあるようなあなたが『目には目を』『歯には歯を』なんて偉そうなことを言ったら、主人に殺されてしまうだろ。主人には逆らわず、好きなようにさせておいた方が、殺されずに済む。否、そうしなければ、生きていけないよな!」 聖書には世の中の弱者が生き残っていくためのすべも示されているようです。