出エジプト記39章32~43節、40章28~38節
   コリントの信徒への手紙一3章10~17
平和の共同体の心得「準備」 

模様霜のは準備がしっかりできたとき、成功するものです。
カナン地方へこれから旅立つ準備をイスラエルは行います。40年荒野旅路に出発し、カナンの地で他民族と子々孫々と暮らすための準備です。この準備はどんなことをしたのでしょう。それは39章32~43節に書いてありますように、幕屋といって神の礼拝をするための移動の施設を完成させたのでしょう。「イスラエルの人々は主がモーセに命じられたとおり行った。」とあります。天幕、祭具、壁板、留め金、横木、柱、台座、赤く染めた雄羊の毛皮の覆い、じゅごんの皮の覆い、至聖所の垂れ幕、掟の箱と棒、贖いの座、机、およびそのすべての祭具と備えのパン、純金のともし火皿、すなわち一列に並べるともし火皿、およびそのすべての祭具と灯油、金の祭壇、聖別の油、香草の香、天幕の入り口の幕、青銅の祭壇と青銅の孔子、棒とそのすべての祭具、洗盤と台、庭の慢幕、その柱と台座、庭の入り口の幕、綱と杭、および臨在の幕屋で行われてる幕屋の務めに必要なすべての祭具、聖所で仕えるために織った衣服、すなわち、祭司アロンのための祭服、およびその子らが祭司として仕えるための衣服。でした。それらをモーセのところにもってきてみせましたら、主が仰せになったように作業を行っていたので、モーセはイスラエルの人々を祝福した、とあります。

この準備とは礼拝するための準備ではありませんか。そして、カナンの地にこれから向かっていきますが、おそらく、礼拝をしながらカナンに向かって行ってそこで暮らすのでしょう。もちろん、そうして定住した後も、礼拝を守るための幕屋で礼拝をするような準備を完成したのでした。神に聞きながら歩む人生、共同体の形成とその維持が重要だと語っているように思います。

ひとり一人が神の神殿。自分を誇ってはけない。人間も誇ってはいけない
それが主と交わること。

日常的なことも政治的なことでも、なにか、みんなでやろうとするときは、まず、主と交わり、たかぶらさずに、心を主に向けておく必要がある、ということでしょう。主に目を留めるだけで、問題が解決されることもあるのです。いな、主に目を留めること自体が目的に私には思います。