聖書:出エジプト記7章8節~13節 イザヤ書11章6節~10節 説教:主の救い ノーベル平和賞が10月10日に発表されました。ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、日本国憲法第9条を守ってきた日本国民もノミネートされていました。結局ことしはパキスタンのマララ・ユスフザイさんとインドのカイラシュさんに決まりました。マララさんは17歳女性。一昨年10月イスラムのタリバンから銃撃を頭に受けましたが、助かりました。彼女はイスラム教徒ですね。イスラム教でもいろいろ分派があるようでして、イスラム過激派タリバンに支配された地域に住んでいました。タリバンは女性に教育を受けさせない政策を取り、反抗するものは殺害されるということも起こって恐怖政治が敷かれています。今の今おかしな話ですが、そういう思想を持つ集団がいるんですね。彼女は11才のときからBBCに恐怖政治のことを訴え続けてきました。そのせいもあってか、欧米よりだということで銃撃されたようです。10月に銃撃。奇跡的に助かりイギリスの病院で治療を受け、回復しました。10月10日、国連本部で彼女の演説がありました。 彼女は銃弾で打ったタリバンを恨まないといい、赦すといいました。マララさんはそういう思いをイエスや仏陀、マザーテレサ、アーサーキング牧師から学んだと話しました。タリバンがなぜ女性に教育を与えないようにするかといいますと、彼らは女性から物を言われるのが怖いと思っている、と話しました。そして、タリバンの女性や女の子に教育を受けられるようにしたいと語りました。「一人の子ども、一人の教師、1冊の本、1本のペンが世界を変えることができる。全ての人に対する教育これが一番重要だ」ということを語りました。 イスラム教徒とかいうとあまり興味が行かなくなりませんか?イスラム教徒なんてジハード、聖戦をやる野蛮な恐ろしい宗教だと思っていませんか?なにせキリスト教は世界で21億人おり最大の宗教です。その力を盾にに他の宗教を否定したりしていませんか?私にはそういう思いがありました。しかし、それは誤った悪い考え方です。どんな宗教でも素晴らしい人は素晴らしい。どんな宗教でも同じ神が働いているという思想は旧約聖書にすでに見られます。イスラム教であるマララさんは、イエスの教えである、「敵を愛せ」を実践しているではありませんか。ある意味、キリスト教徒以上の人類愛的思想を持っていると思われます。 金井美彦という教団の旧約学者がいますが、この方は、イザヤ書は主ということばをイエスに変えれば、新約でイエスがやったことをほぼ説明できるといっています。従って、旧約聖書だけでも神様の御心を知ることが可能であるともいえるのです。そういう思想に立てば、旧約聖書は、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の共通言語になりうるということです。只、解釈が多様にできてしまうという難点はありますが。旧約聖書の勉強会をキリスト教、イスラム教、ユダヤ教でやりたいものですね。 改めて、旧約聖書の重要さを受け止めたいと思っています。ということで今日は旧約聖書からのみのお話となります。 主の救い、このことを考えますと、天国を与える、永遠の命が与えられる、復活すなどいろいろありますが、救いのひとつに「平和」があるのではないかと思います。主の意図する平和が書かれていますのが、本日のイザヤ書11章なのですが、これは、すごいことなんですね。狼と子羊は共に宿り、豹は子山羊と共にすむ。これは、襲ったり、襲われたりすることが、争いが、なくなるという比喩とも捕らえられますが、動物の敵愾心もなくなるということなんでしょうね。金井はこれをすごいことだと驚きをもって語っていまして、こういう夢物語が、人に希望と夢を与えていかすんだ!と語っています。徹底的平和主義といいますか、絶対的平和主義をイザヤは取っているというのです。イザヤ2章4節は国連前に掲げられている標語になっているそうです。 本日の聖書出エジプトの箇所はエジプトの王ファラオと神の力比べが描かれています。 王ファラオはモーセとアロンに「奇跡を行ってみよ」と求めました。 そこで、神側のモーセとアロンは杖をファラオの前に投げ、蛇に変える奇跡を起こしました。一方、ファラオ側も賢者や呪術師を召し出して、同じことをしてみせました。しかし、神側の杖がファラオ側の杖を飲み込みんだということが書かれています。 この箇所は文明がいかなる物であるかが、示されていることころだと思います。現代、核、IT、遺伝子操作、再生医療など、まるで魔術の如くの技術が出現しています。今日の聖書の箇所から考えますと、この技術を通して、軍事中心、人を重労働に使役する人を人が支配するエジプトが神との競争として用いられる時、神の技術に呑み込まれるということが示されているように思います。 人間は核を手に入れ、IT技術、遺伝子操作、再生医療など輝かしい技術を手に入れました。しかし、それが、人類を破滅へと導く技術にもなるということを私たち人類は気づき、どうしようもない不安に陥っていはしないでしょうか。 しかし、本日の聖書からはそうはならないことが示されています。主がその技術を呑み込み、抑圧されている人々を解放していく、或いは、苦しんでいる人たちから、苦しみを取り去るという御心、主の救いである平和をはたすために用いると語っているように思います。私たちはそのような主の救い平和の中に生きている、主の救い平和の中でしか生きられないということを伝えてくれているように思います。 皆様の祝福を祈ります。